ザ・借家の誕生物語

借家


 「ザ・借家」の誕生は1994年。
当時はバブル崩壊、繊維不況、税制改正が重なり、賃貸住宅は空室だらけの時代でした。

だからこそ私たちはマーケティングを行い、入居者が望む新しい賃貸を開発。
そこから生まれた戸建て感覚の「ザ・借家」は入居抽選会を開くほどの大人気でした。
23年を経た現在も、入居率97%とその魅力は衰えていません。

昔の近江商人には『三方よし』という考え方があったそうです。

私たちはこれを、お客さまから教えていただきました。
入居者さんに喜んでもらい、施主さんは安定した不労所得が得られ、私たちも利益をいただける。
いい借家があれば、できること、とわかりました。

借家のおかげ


この言葉が、いまも、たからものになっています。


 

二十年ほど前。尾張にとんでもない大津波が訪れました。
それはトリプル不況。バブル崩壊、繊維不況、税制改正の波と、三つ重なった大津波でした。

借家のおかげ
ひどい苦境に陥りました。アパートやマンションは空室だらけで、ガラガラです。

もがいた末に「アパートではダメだ」とわかりました。
どうすればいいかはわかりません。仲間が次々に去っていきました。

苦境の中で、ふと、農家をまわっていた頃に、

年配の地主さんがよく言っていたことばを思い出しました。

 

しゃくやのおかげ

 

「借家があるおかげで、子どもを学校に行かせられた。
魚や肉も買えた。生活ができた。借家のおかげ」と。

すでに住宅は余っている状態でした。
将来はもっと若い人が減り、人口も減る。
その中でやっていけるのは、昔もいまも継続している借家以外にはないと、確信しました。
さまざまな借家を見てまわり、研究しました。

家賃は値打ちな方がいい。
建築費も安い方がいい。
難しいように思えましたが、大工さんたちの技術があれば、高い品質で、長持ちさせられることもわかりました。

入居者は騒音をとても気にしており、
プライバシーを守れる一軒家のような家に住みたいがっていることもわかりました。

そしてできたのが、1,2階併用型のメゾネットタイプの建物です。

そして商品名。
これは「借家」という名前以外に考えられません。
みんなに反対されましたが、新しい時代の借家ということで「ザ」をつけて、
「ザ・借家」というネーミングにしました。

その結果、一年を経過したころから、事業として先が見えるようになってきました。
尾張だけでなく中部全体へ、関東や関西へも広がりました。
いろいろな種類の借家をつくりました。



写真家のアラーキーさん(荒木経惟さん)がやってきて、
ザ・借家と、そこに住む人たちの写真を撮ってくれました。

木造の、一戸建てをつなげたような、ほとんど見かけない新しいカタチの建物です。
原価がうまくおさまらず、赤字の工事でしたが、無事完成し、
入居者を募集したところ、大人気になって、
抽選で決めなければならないほどの希望者が集まりました。

そのころ世の中は不況で、周辺のアパート・マンションは空室がとても多く、ガラガラの状態でした。

儲かるからと言われて、大きな借金をして、アパートを建てた大家さんたちは、
みんな腹の底から怒っていました。
営業をしにうかがってもアパートの「ア」を口に出しただけで、追い出されていました。

そんな時だったので、「ザ・借家」の人気は評判になりました。
そして少しずつ話を聞いていただけるようになりました。しかしその後も、赤字の受注が続きました。
建てれば建てるほど、会社の赤字は大きくなりました。
一棟一棟、ソロバンが合うように、努力をし続けました。

つくる棟数が増えたことで、お値打ちな価格でやってくれる大工さんが増えてきました。
材料も前よりずっと値打ちに仕人れられるようになりました。



いまもお客さまから教えられた「借家のおかげで」ということばが、珠玉の教えになっています。
あれから―
十年がたち、私たちのメゾネット賃貸住宅が一万戸を突破したいまも、変わっていません。